2010年08月18日

信じることは最も大切と言うよりも最も難しいことです

今の日本人は信じることと、宗教心を同義語のように考えがちですが、それは違います。
まったく違います。幼児が母親を信じることは、宗教ではありません。
『信』は大人になるにつれ、薄れてくるようです。
なぜ、『信』が大切かと言うと、『信』があると何事にも耐えうることが出来るからです。

キリスト教 イスラム教などが第一条に「私(神)を信じなさい」とあるのは、強く生きるための応用編なのです。
しかし、『信』には「猛信」「狂信」といった間違った『信』があります。
これはオウムなどの新興宗教などに代表される、狂った『信』です。注意してください。

かつて、松下幸之助、とか、ヘレンケラーとか、マザーテレサとかいろいろな偉人がいますが、彼らは、すべて『信条』で生きています。
『信条』すなわち『信』です。
『信条』で生きる人は不思議と神に祈るようです。
答えになっていませんが、頑張ってください。
posted by sabu at 19:07| Comment(1) | 教訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたの脳は、生きていますか?

あなたの脳は生きていますか?
鉄が錆びたり、水が腐ったりするのはなぜだか分かりますか?
答えは簡単です。

それは使わないからです。
鉄は使っていると錆びません。
水は流れていると腐りません。
実は脳も使わないと錆びたり腐ったりするようです。
「鉄が錆びるように、水が腐るように、才能は用いずしてはそこなわれる。」


レオナルド・ダビンチの言葉です。
あなたも死ぬまで自分の才能を使い続けてください
posted by sabu at 19:05| Comment(0) | 教訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絶望のなかにあっても何も心配しないでください

絶望のなかにあっても何も心配しないでください。
誰しも絶望があります。
運・不運があります。
中には倒産・リストラ・裏切り・死別等にあい、絶望を経験することもあります。
しかし・・・
ヨーロッパのことわざに
「一つの扉が閉じられると、必ずもう一つの扉が開けられる」
という、ことわざです。
つまり、・・・
絶望のときは黙って、次の扉が開くのをただ待てばよいのです。
決して落ち込んでしまってはいけません。
必ず、もう一つの扉が開きます。
日本にもよく似た言葉があります。
「すてる神あれば、拾う神あり。」
どうもわれわれは生きているのではなく、生かされているようです。
posted by sabu at 19:03| Comment(5) | 教訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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